
「目覚めた」という言葉を、スピリチュアルの世界ではよく聞きます。
本当のことに気づいた。世界の見え方が変わった。もう前の自分には戻れない。そう話す人の顔は明るくて、楽しそうで、少しうらやましく見えることもあります。
一方で、同じ言葉を口にしながら、だんだん話が通じなくなっていく人もいます。家族や友達と距離ができて、何を聞いても「それは世界が見えていないからだよ」と返ってくるようになる。
同じものに触れて、楽になる人と、のめり込んで苦しくなる人がいる。この記事では、その分かれ目がどこにあるのかを考えてみます。
私も、外から見れば同じ側にいる
私はスピリチュアルの世界で仕事をして、お金をいただいて暮らしています。周りから見れば「目覚めた人」と同じ側にいる人間です。占いスクールに通っていた頃は会社員でしたが、同僚には心配されていました。
私自身も海外のヒーリング系講座に5万円ほど払って受講していました。やっぱりそこには311で目覚めた先生もいましたし、やばいほど泣かせて罪悪感を抱かせる手法も見てきました。 ただその講座を受けて瞑想が出来るコツを得られたので、個人的にはプライスレスですがまぁまぁ危険な講座でしたよ。
だから、この記事は「あっちは危ない人、私は違う」という話ではありません。私も含めて、誰でもどちらにも転びうる、という話です。
好きなことを仕事にしたい気持ちは、よくわかる
スピリチュアルを学んだ人が、それをライフワークにしたいと思うのは自然なことです。
好きなことで生きていきたいって考えるのは当然で、私自身もインターネットの世界が好きでIT系の会社で働いていました。その延長で今このサイトを運営しています。
危うくなるのは、その気持ちがいつの間にか別のものにすり替わったときです。
大きな災害や、病気、失業、別れ。足元が崩れるような出来事のあとは、人は「なぜこんなことが起きたのか」の答えを強く欲しがります。
スピリチュアルは、その答えをくれることがあります。それで救われる人もいます。ただ、答えが欲しい気持ちが強すぎると、どんな説明でも飲み込んでしまう状態にもなります。
「全部わかった」は、危ないサイン
スピリチュアルにのめり込んでいく人が、よく口にする言葉があります。
「全部つながった」「世界の仕組みがわかった」「本当のことを知ってしまった」
この「全部わかった」という感覚は、とても気持ちがいいものです。不安がすっと消えて、自分が特別な場所に立った気がする。
でも、世の中のことが全部わかる人はいません。研究者も、宗教家も、占い師も、わからないことを抱えたまま生きています。「全部わかった」と感じたときは、むしろ立ち止まったほうがいいときです。
陰謀論に入っていく人も、同じ入り口を通ることが多いように思います。ニュースの裏には隠された真実がある、自分はそれに気づいた側だ、という感覚です。世の中に隠されていることがまったくないとは思いませんが、陰謀論もスピも似たような世界観にあると思っています。
楽になる人と、苦しくなる人の分かれ目
生活に生かしているか、人を見下し始めていないか
瞑想を覚えて眠れるようになった。掃除をしたら気持ちが軽くなった。学んだことが自分の暮らしを楽にしているなら、それはいい使い方です。
反対に、学んだことで周りの人が「遅れている人」に見え始めたら、少し危ない状態です。家族の話を「波動が低い」「動物霊が付いている」などで片づけるようになったら、なおさらです。
「わからない」と言えるか
スピリチュアルを長く楽しんでいる人ほど、「それはわからない」「私はこう感じるけど、違う人もいると思う」と言えます。
わからないことをわからないままにしておける余裕がある人は、のめり込みにくいように見えます。
今はショート動画など短時間で何かを得ることがトレンドで、結論はコレ!というメッセージが支持される時代です。インターネットの普及により答えをすぐ得られる時代になったデメリットとしては、よく分からないことを分からないままにして、あぁでもないこうでもないと考えるよりも答えをすぐに得ることが当たり前になりすぎているんですよね。
楽になるために使っているか、不安から逃げるために使っているか
スピリチュアルで元気になって、また自分の生活に戻っていけるなら問題ありません。
一方で、不安になるたびに占いを繰り返す、セミナーを受けても受けても足りない気がする、という状態なら、スピリチュアルが不安を和らげる薬ではなく、不安を先送りする場所になっています。
スピの世界って優しくてあんまり否定しない方が多いんですよ。言動として良くないことをしたとしても、それは自分の学びに辿り着くために必要な過程であったなど自分の言動に対して反省を促すようなことはまずないです。
資格やセミナーが、自分のためか、次の人に売るためか
学びたくて受けたセミナーは、自分の財産になります。NLPやってた人は営業をやってすごく数字を上げているのを見たことあります。それとは別で物事の分かりやすい答えを与えるために、NLPを使っている人も見たことがあります。
何のために学んでいるのか、そこで分かれる気がしています。
ただ、受けた人がすぐに同じ資格を教える側に回り、さらに次の人に売っていく、という流れが続いているところもあります。学んだ中身より、「教える側になれる」ことのほうに値段がついていてそれが自分の自己承認欲求を満たしてくれるものなら、少し距離を置いて考えてみてください。
のめり込んでいるかもしれないと思ったら
自分のことでも、身近な人のことでも、次のようなことが重なっていたら一度立ち止まってみてください。
- スピリチュアルの話が通じない人と、会うのを避けるようになった
- セミナーや施術に使うお金が、生活を圧迫し始めている
- 疑問を口にすると「まだわかっていない」と言われる場所にいる
- 眠れない、食べられないといった状態が続いている
身近な人がのめり込んでいるときは、頭ごなしに否定すると、かえって心を閉ざしてしまうことがあります。考え方を変えさせようとするより、ふつうの話ができる関係を切らさないでおくほうが、戻ってくる場所になります。
お金のトラブルや、抜けられない団体のことで困っているときは、消費者ホットライン「188」に相談できます。
まとめ
スピリチュアルは、人を楽にすることもあれば、追い詰めることもあります。私自身、そこで学んだことに助けられてきたし、のめり込んで変わっていく人も見てきました。
今は、すぐに答えが手に入る時代です。スピの世界も優しくて、あまり否定されません。だからこそ、気持ちのいい答えだけを受け取って、自分で考えるのをやめてしまいやすいのだと思います。
分かれ目は、何を信じているかより、何のために使っているかにあると思います。自分の暮らしが少し楽になっているか。周りの人とふつうに話せているか。わからないことを、わからないまま考え続けられるか。
「目覚める」というのは、何かを全部わかることではなくて、迷いながらでも自分の足で立てるようになることなのかもしれません。今日のあなたが、昨日より少し楽に息ができているなら、それで十分です。








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